現代かわら版

現代かわら版 シリーズ「京都雑見 (8)」 by-KEI
(バックナンバー掲載分)

「京都の限界」という言葉を前稿で使わしてもらった。そのことが京都最大の地銀、京都銀行の歴史によく現われているとも述べた。それはどういう意味かというと、京都銀行は、京都、なかんずく日本を代表するエクセレント企業である、京セラ、ローム、日本電産、堀場製作所の立ち上がりに関わり、ベンチャーキャピタル的機能を担って、これらの企業の成長を見守った経緯がある。そしてこれらの企業は現在の繁栄を得ることができたのである。
京都の優良企業、エクセレント企業の経営能力の高さは(経営能力としか言いようがない)、凄いものがある。好例としては、京都の“御三家”、京セラ、ローム、村田製作所と、東京に本拠を置くTDKを比べたとき、そのことがよくわかる。TDKも「御三家」と同じく日本を代表する超優良電子部品メーカーである。だが、この超優良会社も、昨年来の「IT不況」の影響で、営業利益段階で赤字を強いられるという、創業以来の危機という状態に陥っている。では、「御三家」はどうかというと、確かに、「IT不況」の影響は免れず、大幅な減益になっているが、高収益であることには変わりはない。TDKと比べた場合、その差は際立っている。
では、こうした企業(ベンチャーとは言い難いが、任天堂の成長にも大きく関わっている)の発展に少ながらず貢献してきた京都銀行はどうなのかというと、確かに創業段階からこうした企業の株式取得を行ってきたことから、殆んどの銀行が株式含み損を抱えているなか、膨大な株式含み益を抱える稀有な銀行となっている。地銀のなかでは、
優良行といってよい。しかし、それ自体は大変なことであるが、現状、京都銀行が、京セラ、ロームに比べで目立たない存在であることも事実である。どうしてそうなのか。京都の人たちには失礼にあたるかもしれないが、外部の目からみると、京都経済の規模の小ささに基因しているのではないかと思えるのである。

これが、「京都の限界」といえるものである。

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