現代かわら版

現代かわら版 シリーズ「京都雑見 (2)」 by-KEI
(バックナンバー掲載分)

京都市内を車で走って、信用金庫の看板の多さに驚いたが、京都をどう思えばよいのだろうか。「田舎」と思うのか、それとも「都会」と考えるのか。


地域によって信用金庫のイメージは非常に違う。ただし、一般的には「ドブ板を踏んでの営業」などと、庶民的なイメージや、地域密着という言葉が思い浮かぶ。そして、決して大規模、国際的といった表現は使われない。要するに、「地域に生きる小さな金融機関」、これが信用金庫の一般的イメージである。


特に、東京を中心とした首都圏はそういう傾向が強い。これらの地域は、俗に言う都銀(今、こういう表現は使われないらしいが)の本場である。すべての都銀が集中しているといってよい。それにひきかえ、信用金庫の存在感は薄い。決して、数が少ないとか、役割を果していないというわけではなく、むしろ、東京は日本一の数を誇り首都圏最大の信用金庫である城南信用金庫をはじめ、下手な都銀以上に内容が良好なところもある。しかし、その影が薄いのは否めないのである。それが、東京を中心とした首都圏の実情である。


では、京都はどうか。前稿で車中より「中央金庫」、またはただの「信用金庫」の看板を多数みかけたといったが、このうち「中央金庫」は『京都中央信用金庫』、ただの「信用金庫」は、木陰に隠れていたこともあって看板の上部が読めなかったことから、こういう表現を使ったが、『京都信用金庫』の看板であった。そして、この二つの信用金庫がまた、ユニークというか、まことに京都らしいのである。京都中央信金が資金量約3兆円、京都信用金庫が資金量約2兆円といわれる「大信用金庫」なのである。首都圏でこのクラスの信金は、前記の城南信用金庫しか存在しない。


東京の10分の1程度の経済規模といわれる京都に、城南信金クラスの信用金庫が二つもあるのである。加えて、この二つの信金は相当に性格が違うといわれている。そこで、これから「信金王国・京都」を考えてみたい。  (続く)

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